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  <title>ナチュラル</title>
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  <description>本質的で新しい視点のナチュラルを語ります。
最近の重点は時事・未来予測・地球環境・21世紀的価値観の模索など。</description>
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  <title>普通に変</title>
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  <description>ジンクスってあまり信じないけど、平気だと思うと平気になって、ダメって思うとダメになるようなことはあるような気がしますね。これはジンクスというよりも言霊かにゃ？

私の場合は、これまで出会った数多くの人にほぼ異口同音で「変」、「普通いない」、「変人」、「宇宙人」、「異星人」、「何様」などといいように言われているので、自分が人と違うということは大体わかっているつもりではいますがこれがなかなか難物でして。

つまり普通であることの偉大さに圧倒される瞬間に、微妙にひれ伏してしまうというか。

それで時々、見栄を張るというか、無い物ねだりというか、普通に他の人と同じような感じになってみたい、という大きな勘違いをすることがありまして。ほぼそのような動機に基づいて何らかのことを計画したり行動に移したりすると、大失敗します。まあ、当たり前といえば当たり前なのですが。

でも、社会生活をする内に無意識で身につけていった「自分がさも普通の常識人であるかのような真似をする」という癖がなかなか抜けません。昔から軽めに多重人格気味というか、素質的にはパーソナリティががらっと変わるという面もありまして、それを指摘されたこともあり。

で、いろいろ悩んだこともあり、困ったこともあったのですが、相変わらずあちこちにブログを作ったりしてそのたびごとに違うHNを使うあたりは、もう天然で多面性があるんだろうなあと思っています。この多面性はどれが優位ということはなくて、必要に応じて出てくるので、全ての自分を統括する部分では意味があるのだろうとあまり気にしないことにしています。

何が言いたいかと申しますと、今年始め、日付は1月2日に主に微生物を念頭において ひとりで共生〜？！ などという記事を書いていたわけですが、終わる頃になって、これは頭の中もきちんと共生として認めちゃったほうがいいんじゃないかな、などと思ったわけです。

別に、もうひとりの自分がいるとか、私の知らない私とか、映画や小説になるような話ではなくて、「人生を普通に生きる」という文脈の外であれやこれや考えることのある種の無意味さを自分の役割として認めようということであります。

やれ、宇宙がどうなってるとか、知性は純粋な情報の集積だとか、普遍性のある情報は時間を超えるとか、実生活に役に立たないことに膨大な時間を費やしているのはなぜか、という理由を考えてみた時に、実はこの多面性は、「人間という存在様式の中に普遍的な知性が寄生していることから来ている」という逆転の発想を受け入れるわけですね。

この寄生体を仮想することで、地球から宇宙へ、さらに宇宙の外へと視点を誘って「存在の多様なあり方」を思考実験していく。私がここで生きている一番の理由はこれに尽きるのではないかとしみじみ感じる部分がありまして。

これを認めないでいると、「普通」が徐々に忍び寄ってきて重荷になって「早く年相応の落ち着いたばあさん大人の女性として生きなければならない」などというプレッシャーに育っていくんですね。おそらくこれは細胞のプログラム。

で、私はこの細胞サイドからすると認めれらないバグみたいなものなんだろうと感じる部分があり。細胞サイドのバグとしてデバッグの対象になるよりは、細胞を利するために「外の視点を寄生させている珍しい個体」として開き直っちゃった方がいいんだろうな、と。

ということで、来年の脳内テーマは、外部の知性との共生に決めました。アレカオさん、リニューアルして非常に使い勝手が悪くなりましたので、このブログ「ナチュラル」での更新はこれで終わりにします。

ブログは nature beyond （http://xenovia.exblog.jp/ ）に移転いたします。過去記事もほぼ移転済みですので、次回からエキサイトで更新します。私の勝手なエントリを暖かく見守ってくださった方々には、この場を借りてお礼を申し上げます

海より広い心をお持ちの方々に、新しい年がたくさんの幸せをもたらしますように</description>
	<dc:creator>179758</dc:creator>
  <dc:date>2007-12-27T18:20:00+09:00</dc:date> 
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  <item rdf:about="http://natural_beauty.arekao.jp/entry-a3cfc4a2221b97a00360f01f18b3de9b.html">
  <title>深層時間</title>
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  <description>世の中では新しい年に変わるというので、これを機会に自分も一番よく参照している時間軸を意識の中で表に出すことにしようかな、と考えております。

グレゴリウス歴でも、和暦でもない、もちろんユダヤ歴やヒジュラ歴などでもありません。人間が月と太陽の公転周期を基準として人為的に設定した時間とは異なるレベルの時間軸です。

自分自身の中では、数十年参照している流れですので、その時間には慣れていて、そちらの方がこれから先の展開を考えるのに使いやすいから、というのが一番の理由です。

表層の時間は人類だけの基準ですので、非常に幅が狭くて過ぎ去るのが速い（短い）という感覚があります。また、別の時間スケールを全部落としてしまっているので、地球から宇宙を貫いている微視的空間から巨視的空間までを一貫したものとしてとらえるのには不向きです。

この場所（地球）を特別な場所と考えないで、宇宙の中の任意の惑星として扱える時間、深層時間にはそのような側面があります。これから先、この時間について何らかのエントリを書くかもしれません。書かないかもしれませんが。

とりあえず、時間は単線的なものではないということを言ってみました。</description>
	<dc:creator>179758</dc:creator>
  <dc:date>2007-12-26T16:14:00+09:00</dc:date> 
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  <item rdf:about="http://natural_beauty.arekao.jp/entry-7275fc5f1e4fc5ce8d07b89509ccaee3.html">
  <title>いくらサーモン桜えび</title>
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  <description>新鮮な釜揚げ桜えび、今が旬ですか？よくわからないけど、ちょっと便利な食材ですね。カルシウムもとれるし、いわゆる抗酸化栄養素のアスタキサンチンも豊富です。

いくらやサーモンを食すると、翌日の肌の調子がいい感じがしませんか？私は海産物では、生ホタテの次にいくらとサーモンが肌にいいような気がしています。それで、先日作ったパスタがするする食べられて、油が多いわりには胃に負担がなくて、身体に優しいメニューのように思えましたので、ちょっとご紹介しておきます。

たらこパスタのアレンジです。

材料は、釜揚げ桜えび、たらこ、いくら醤油付け、スプラウト（できれば紫キャベツ）、大葉、バター、マヨネーズ、わさびです。

１．バターをレンジで溶かしてほぐしたたらこと混ぜ合わせる。（通常はバターとたらこを同量まぜますが、私はバターを15g減らして代わりにマヨネーズを大さじ一杯とわさびを適量入れて、わさびマヨネーズ風味にします）。

２．スプラウトと刻んだ大葉と桜えびをマヨネーズでさっと和えておきます。

３．パスタを茹でてたらこバターと混ぜ合わせたら、２．のサラダをトッピングして、最後にいくら醤油付けを乗せます。

これだけ。とても簡単ですので、材料が揃いやすくておせちなどを食べ飽きたときにさっと作れます。

それで、思い出したのですが、アスタキサンチンを使用した優れものの化粧品がありまして。

これまで、FUJIFILMの化粧品に対して、まず広告宣伝がいやで記事にしたりしていました。香りや使用感や効果も含めて印象が悪かったのですが、この秋に新しく発売されたアスタリフトは浸透とリフティングと美白に優れた化粧品だと感じました。

難点は、肌が弱い人には向かないこと。有効成分が豊富な分だけ香料も強く添加物も多いので、肌が丈夫で効果を求めたい方にはお薦めです。ダマスクローズの香りが、かなり強いです。ちょっとイメージは古めの香りですね。そして、色が濃いオレンジつまりいくら色なので、最初はギョッとします。顔に色付きの水やとろみのある美容液を塗るのに抵抗がない方でないと難しいかもしれません。

その2点を除くと、大変よい化粧品だと思います。浸透とリフティングと美白についてはオゾン化粧品に引けをとらないと思います。むしろ、浸透と感触は優れているかもしれません。本商品を使い終わる頃には、肌の表面がつるつると整ってくるのがわかります。

ただし、香りと刺激でリピートができるかどうかは厳しいところですね。これを無色透明に近い色＆微香でやれれば素晴らしかったのに、と少しもったいない気がします。

アスタリフトトライアルキット

食べ過ぎ、飲みすぎ、夜更かしなどで疲れたお肌には、鮭雑炊がいいですね。</description>
	<dc:creator>179758</dc:creator>
  <dc:date>2007-12-25T15:13:00+09:00</dc:date> 
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  <item rdf:about="http://natural_beauty.arekao.jp/entry-83003a863b75be190f0f6e0c0f8cf556.html">
  <title>非モテの極意</title>
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  <description>世間様が捏ねて作ったスペシャルなクリスマスとやらには、全く関係なく通常どおりの脳内ワールドに生きている私です、こんにちは。

ちなみに、今年は家族で過ごすクリスマスがテーマだそうですが、キリスト教国ではもともとそれがあたりまえなんじゃないかなぁ〜などと「今更、何言っちゃってんのかにゃ？」と広告や流通業界を鼻で笑いたくなる気持ちが少々あったり。

私にとってもっとも印象的なクリスマスイブ、それはイスラム教国のモスクでラマダン中に迎えたイブ。要するにクリスマスには何の関係もないイブ。アザーンが響きまくりでみんながお腹を空かせている街景色。その翌年に、ほぼ一年中途切れることなく法螺を吹いている私自身にも考えつかないような巡り会いがあり……、内容についてはとても書けません。ショックでしたね〜。

さて、非モテ。つまり嫌われるにはどうしたらよいか、という逆転の発想ですね。モテたい方は、この逆を行けばいいという簡単なことです。毎年クリスマスをナーバスに迎え、二人で過ごすことのプレッシャーで消耗戦が繰り広げられているところでは繰り広げられているようなので、とりあえずご参考までに。

それは、来るものを拒み、去るものを追うこと

これで、あなたも非モテへの第一歩を踏み出せます。さらにもう一段階スキルアップしたい方は、ドタキャンがお薦め。これで二度と声がかからなくなることは確実よ。その前に、相手の気持ち次第では多少の感情のもつれも覚悟してねって、今の時代だと簡単に刺されたりするから、あんまりお薦めできないかもしれません。

あれ、何を書いてるのかわからなくなっちゃった。自分によくわからないことを他人様に伝えようとしても伝わるものではないということがわかりました。</description>
	<dc:creator>179758</dc:creator>
  <dc:date>2007-12-24T14:14:00+09:00</dc:date> 
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  <item rdf:about="http://natural_beauty.arekao.jp/entry-b22c030e17f8074d4368d0c6a372274d.html">
  <title>未来に思い残すことはない</title>
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  <description>私の世界では絶対死なないはずだった（最初からその思い込みが間違っているわけですが）魔猫が消えてしまって、やっぱり細胞の論理は絶対正しいんだな、と思っている自分がいるのを再発見しております。

この世の全ては細胞が作り出したおもちゃ箱なんだな。好き勝手に遊んで、飽きたら放り出して、また忘れた頃に箱の奥からおもちゃを引っ張り出して。材料はいくらでもある（と思っているらしいし）、形体と機能のバリエーションはいくらでもある（とも思っているらしい）。細胞のボスって誰？どこにいるの？私はそれを昔から知りたいと思っていました。

でも、ひとつだけ、これだけは譲れないと思っていたことがあり。それは貴方たちの世界に自分のコピーを取られてたまるか、絶対に逃げ切ってやるから、と未来を細胞と共にすることへの拒絶でありました。どうやら、そろそろ無事に逃げ切れたという勝利宣言をしてもいいのかなというお年頃になり。

細胞のボス（がいるとしたら）も、一筋縄では行かないとんでもない強さがあり、あの手この手で私のコピーを取ろうとしやがりまして、自分を世の中の流れの外に置くことで対抗して来た部分もあり。

最終的には、細胞の論理である老化がコピーをとるための大きな障害になってしまうあたりが、結局自分の論理で細胞も無力になることが判りまして、愉快なことこのうえないという心持ちでございます。

次なる目標は、生きて細胞システムから脱出すること、ですね。細胞の論理が普遍的な情報の集合としての知性にどのようなバイアスをかけているのか、それを自分自身の中に集積した記憶を用いて実験してみたいと思っているわけです。それを精査するには、私ではない、外の目が必要になりますが。

私自身は、自分の命が明日終わっても何の悔いもないので、喜んで実験に（あるとしたら）参加するつもりでおりますし。むしろ、そのような人生の枠外にあるいろいろなものごとを眺めて生きてきた個体でありますし。

私は自分の実質は物質交換機だと思っているので、人間というのは自覚している以上にメカニカルな存在だと感じています。そのメカニカルな部分に本能や情動が搭載されているため、群れて行動するという社会秩序の根幹をなす部分が上手く機能するのだろうとも考えています。

そのメカニズムは、タブーとして感知したり表現したりすることを厳しく制限されているとも思います。自分が物質交換機であり、突き詰めると細胞の要請で動いている受動的な存在だと知りたい人はいませんよね。

私のいる場所からは、細胞が知性の捕獲器のように見えたりします。知性を細胞の奴隷にしてしまう、圧政的な存在とでも申しますか。ここから出るには、今の所「死」しかないので、出た後がどうなるかはわからないということでしょう。しかし「死」は細胞に知性が殉死することでもあります。

このようなわけのわからないことを書き連ねて何が言いたいかと申しますと、知性はいつまでも細胞の道連れでいいのかにゃ？知性自体（それをきちんと確立したものだけという厳しい基準を設けた上で）が、どのようなボディに乗るかを選択する機会が与えられてもいいんじゃないかにゃ？と思っているわけです。近年のヴァーチャル世界の進化と深化であるとか、整形の一般化や理想の自分になりたいというような、いわゆる自己実現への激しい欲望は、実はこのあたりに本当の動機があるのではないかと疑っているわけです。

そろそろ細胞から独立した知性というものを想定してもいい時期がやってきたのではないか？そして細胞から独立するにあたっては、細胞による生命システムを熟知した知性が大きな役割を果たし、知性の新しい時代の扉を開くのではないか？

そのようなことを考えたりするのでありました。宇宙の新世界、どんとこい。</description>
	<dc:creator>179758</dc:creator>
  <dc:date>2007-12-23T17:07:00+09:00</dc:date> 
 </item>
  <item rdf:about="http://natural_beauty.arekao.jp/entry-a25dfb53f9a0caa71d2fd1919a2025ab.html">
  <title>時空のカクテルで悪酔いを</title>
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  <description>
魔猫が死んでから、何かが違ってきたような気がします。もちろん、手を伸ばせばいつもそこにいた白い天使が消えてしまったということが一番大きな違いですが、それだけではない、何かを感じつつありまして。

まず、いつぞやのウォルフィーちゃんに続いて、ご近所のクーちゃんという名前のこれもウォルフィーちゃんと同じ5才のヨーキーになつかれました。外でクーちゃんをお散歩させていた奥様とお話していて、座って撫でていたらまたしがみつかれまして。そして、クーちゃんがおうちに帰ったと思ったら、10メートルほど先にまた別のヨーキーを散歩させている方があり、ワンちゃんが鋭く私を見つめていました。今はヨーキーの波がキテる感じですね。

それから、夢がとても鮮明になって、全く知らない人々が変わった日常生活を営んでいて、なぜか私がそこに居合わせてかなり立ち入った事にかかわっていまして、少々疲れたりもします。楽しいのですが、状況設定が変でして。登場人物も顔がはっきりしていて、複数の人物は家族というパターンが多いです。時代は今、場所は日本の首都圏ですね。

今の家に越してきた後には、以前の家に戻ってしまって、今の家に戻る方法がわからなくなる夢を頻繁に見ていました。それは家族も同じで、なんでだろう？何が戻らせようとしているんだろう？とよく話したものでした。それが、昨夜は、以前の家に戻ったら、今の家と以前の家が融合してひとつの家になっていました。さらに死んだはずの人が普通に生きているので、びっくりします。

この頃、私の夢の中では時空が流れを無視して勝手に前後したり融合したり、好き勝手な時を切り貼りして、遊んでいるようです。それが妙にリアルで「これは夢なんだ」と思う余地がないので、起きた後にもなんとなく影響が残っていて、なんだか常に眩暈がしているような感じです。でも、昨日の夢の中では、魔猫は死んでいなくなったままなんですね。存在の痕跡すら残っていないんです。

このようなことをだらだらと書いて、何を言いたいかと申しますと、現実の生活の中でも、もう魔猫の死までの「存在を根底から揺さぶるような嵐が終了した」という点がシンクロしていて、あの子が遠いところにある本来の場所に戻っていったような感覚を覚えるのです。また生まれてくるということは二度とない、永遠の世界に帰っていったことがわかってしまったような。

そして、その永遠の世界がリアリティをちょっとからかいながら、変化させているように感じられるとでも申しますか。あちらからもアクションを起こせるんですよ、と知らせてくれているような。現実と夢と生死のない世界が一本の線でつながってしまったような感じですね。

で、ふと思ったことがありまして。

遅かれ早かれ、地球が人類を脱皮する日がやってくるのだろうという感触を得ました。それは、人間が人間である事を脱皮するのかもしれないし、地球が人間を乗せた薄い殻を脱皮するのかもしれないし、或いは、地球を取り巻いている尻尾をかんだ蛇つまりウロボロスが脱皮して龍になってしまうのかもしれないし、蛇が脱皮して智慧を持つものだけが渡れる道ができるのかもしれない。とにかく、変化が近づいているよ、と聞こえるわけです。

でも普通はこのようなことはあまり重要ではありません。社会と環境が磐石であれば。ただ、地球環境も社会情勢も大荒れが予測されるこれからの時代においては、このような変化には敏感になる必要があるのかな、と思っています。

今、私の頭の中には、ブレードランナーの中でルトガー・ハウアーが演じたレプリカントの最後の台詞が繰り返し響いています。確か、すべては雨の中の涙のように消えていく、だったでしょうか。何か、涙を溶かした雨というのは、人を冴えたまま酩酊させる効果があるようなのでした。</description>
	<dc:creator>179758</dc:creator>
  <dc:date>2007-12-21T14:23:00+09:00</dc:date> 
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  <item rdf:about="http://natural_beauty.arekao.jp/entry-2a9ceb8b5735831049a354208354e640.html">
  <title>投資と利益の脱構築</title>
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  <description>最近、私の脳内で発生した概念にもとづいて「ローカル」の対語として「ギャラクティック」を使用しています。まだ、ギャラクティックがどのようなものかということを上手にコンパクトに説明する文脈を見出していないので、言葉が先行している状態になっております。

こういう場合には、時が熟して状況が整うと（あくまでも発信側として）すんなり説明できるようになるので、それまではギャラクティックという、軽めに隠れ車田正美ファンか！と疑われるような言葉を説明なしで使用しますので、悪しからず。

基本的には、視点を遠くに移すことが必要になります。

現状ではローカルが「地球上のある一定の地域」を指し、グローバルが「全地球的」という意味で定着しています。しかし、昨今の原油価格や穀物価格の高騰から二酸化炭素排出権の売買、或いは月の資源開発などの状況を見ておりますと、もう、この地球上に投資して利益をあげる「現物」なんぞはそうそう残っていないのではないかと思うのであります。一例をあげれば、日本における二酸化炭素排出権売買の最大手である三井物産は、77万ヘクタールの森林を所有して三井物産フォレストという子会社を持っているほどです。さらに親米の外交防衛族議員である石破防衛大臣や町村官房長官からUFOがいるという発言が唐突に飛び出すのも、軍需産業と航空宇宙産業への資金流入のきっかけ作りですね。もう、地球上で美味しくてめぼしい戦場（勝てそうで資源がある仮想敵国）が尽きてしまったのだと感じます。

サブプライムローン＝低所得者向け住宅ローン、このアメリカの返済能力がない能天気な人々にテレビを買うついでに家を売りつけたというシステムは何なんでしょうか？他所からやってきて広いところで好き放題に生きるというアメリカン・ライフは、さすがに地球5.3個分のエネルギーを消費しているだけあって、現状認識に欠けますね。

そこにオイルマネーが流れ込み、破綻したらオイルに逆流し、オイルが足りないのでバイオエネルギー＝穀物市場が高騰し、パーム油は食用からエネルギーにシフトし、アマゾンの熱帯雨林は大豆を作るために切り倒され、エネルギーに使う菜種を栽培するために小麦畑が減少して小麦粉価格が高騰し、もちろんその前にトウモロコシが高騰し、メキシコでは主食の値段が跳ね上がり、家畜飼料も高騰し、肉が高くなって牛乳も値上げして、当然それらを運ぶコストも吸収不可能になり、運ぶだけではなくてあらゆる石油由来のプラスティック製品も値上がりして、余ったお金が相対的に少ない資源や原材料に集中したことで、全ての悪循環が始まってしまったわけです。

つまり、全ては投資がライフラインを、地球における生存コストを、吊り上げたということになります。これほど不毛なことから何の利益が得られるのでしょうか。先細りする地球の資源と、突き詰めれば電気信号に還元されるマネーとのアンバランス。

グローバル、グローバル、とおっしゃいますが、たかだか小さな惑星ひとつがその天井です。それ以上、地球を拡張する手段も能力も、細胞でできた生物は持っていないということに気がつかなければ、行き着く先はただひとつ、大量絶滅です。大量絶滅は大惨事というイメージで語られがちですが、地球にとっては、生物相が変わる、古い生態系が次の生態系の材料になって新しい生態系が生まれるという、繰り返し現れるプロセスのひとつに過ぎません。グローバル化の地球上のゴールは、ひょっとしたら常に大量絶滅なのではないかと私は考えています。

惑星というのは、宇宙の中のローカルな閉鎖循環系であり、惑星は宇宙から見たときにはむしろ「島」だといえます。島の環境を守ること、それが一番大切なことです。そして複数の島が、「閉鎖循環系はどうあるべきか」という普遍的な情報を集中した上で自由に交換できる状態にあるのが「ギャラクティック」なのだろうと、なんとなく思っているわけです。ギャラクティックな視点からは、現在の地球は砂漠化して水没寸前にある島に擬えることができます。

あ〜あ、あんな状態になっちゃって、ヒトが膨れ上がってお金の投げ合いをして、核兵器まで溜め込んじゃって、まだ飽き足りずに今度は宇宙戦争ごっこを始めるつもりみたい。次の生態系、きついな〜。ちょっと上の地層を深めにはがして人間が短時間で荒らしまくった表面を除去しちゃおうか？そうしたら、新しい海をつくってそっちに水を移して、海の底も掘り返せば全部いっぺんに片付かない？

そんな風に見られてるんだろうなぁと感じます。

このようなときに、ギャラクティックな視点にたった「利益」とは何かということを考える必要が出てきます。金銭的な利益はすでにこの場所では無効です。辞書的に見てみましょう。

利益　(1)もうけ。得(とく)。収入から費用を引いた残り。利潤。
　　　　(2)役に立つこと。ためになること。

そうです。利益は(2)の意味だけが有効になります。ローカルにもギャラクティックにも利益があることだけが、壊滅の途上にある生態系で真に重要なことになるのです。

さらに言えば、投資とは何か。これは、身を投げ打って上記の利益に資する人材を発掘することにつきます。もともと高い資質を持っている人物に情報を投下すること、そして、自分の資質に気付いていない人に自覚を促がすこと、また高い資質を持ち存在そのものが利益になるような人々を緩やかに繋いでいくこと。

投資とは、「宇宙の中に自生している良きものの種を発見する」ことに尽きるのではないかと、そのように考えています。そして、どちらかというと、女性はローカルに強く、男性はギャラクティックに強い面があるのかな、という感想を抱いています。結局なんとはなしにギャラクティックの説明もしてしまいました。</description>
	<dc:creator>179758</dc:creator>
  <dc:date>2007-12-20T08:10:00+09:00</dc:date> 
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  <item rdf:about="http://natural_beauty.arekao.jp/entry-ced8ab7901fbed33a8b535f7a24ba68a.html">
  <title>フェイクはゆるめにして</title>
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  <description>どうも、今朝ほどセガトイズの夢ねこなるものを見て、ハートがずたぼろに引き裂かれて30分ほど昏睡状態に陥ってしまった私です。こんにちは。

犯人はこれ↓
夢ねこスマイル　セガトイズ
なにするのよ〜、お腹マッサージポーズなんてこれアウト。動画なんか見られません。
セガのばかぁ!!!
って、このことだったのね。白いんにゃーって鳴く縫いぐるみ。死んでも要りません。

私にとって永遠の夢の猫はこの人だけですから。



ゆる感とダメ感こそがフェイクのレゾンデートル、フェイクのよさ。私の勝手な思い込みですが。

そのゆる感とダメ感の表現で今注目の加藤さんによる作品。元ネタが盗作騒ぎで揉めているようですが、その半歩あとを行くケータイ小説風味（良い子と上品な方は見ないでね）。
恋空気
加藤さんにはこのまま残念ロードを突き進んでいただきたいものです。

さらにフェイク感と申しますか、ありえないノリと内容のきわどさと異色の出演者が楽しすぎる英会話番組、これは現在再放送中のようですが、ついにNHKもBBCに並んだな、という感じです。番組をコンパクトに紹介したPDFです。（やはり上品な方にはお薦めしません）。
ジュークボックス英会話
佐藤教授は脳の病気ですね。アキさんはとってもきれい。（私の人生で遭遇したakiという音をもつ女性、異常に美女率高いです）。マーティ・フリードマンは、業界内でバッティングするバンドを丁寧に避けている感じがお利口さん。

今日はちょっと自暴自棄だったかにゃ??</description>
	<dc:creator>179758</dc:creator>
  <dc:date>2007-12-19T15:01:00+09:00</dc:date> 
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  <item rdf:about="http://natural_beauty.arekao.jp/entry-10efa6653b44756de12eab16ee17332f.html">
  <title>遠くのとある別荘</title>
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  <description>昔仕事で地中海の島にあるフランス人の別荘を借りた撮影に同行したことがありまして。真冬だったので、プールサイドのシーンなどはガクブル震えながらチェックなどした寒い寒い思い出があり。

かなり遠い場所なのですが、メイドさんはフィリピン人でした。真冬でしたので真夏の社交場である島の別荘にはお留守番の方しかいなかったため、急な予定でも借りることができたのでした。

この方の別荘がアフリカ趣味で、リビングはアフリカンテイスト溢れるワイルドな雰囲気。島でサファリを楽しんでいるイメージです。暖炉は薪を燃やしていました。あなたは動物のお医者さんの漆原教授ですか？と思うようなお面も多数あり。建物の外観は、この島やエーゲ海や北アフリカによくある白い漆喰塗りで、夏の陽射しを反射するのを計算しているのが感じられました。

他の場所はカラフルでエキゾチックなイスラミックタイルの装飾が施され、モスクのような雰囲気もあり、また急で狭い階段を遊び的に配置して、なんとなく洞窟気分とオリエンタルな雰囲気を同時に楽しめるようになっています。バスルームはオアシスそのもののイメージで、天井の演出がテント風でお洒落でした。中庭には日本趣味の置物などもあったりして、開放的な場所に遊び心で作った別荘だというのが伝わってきました。

でも私の目からみると灯篭風の置物などは、島自体がちょっと湿った雰囲気なので江の島か湯河原・熱海あたりにいるような気がして妙に落ち着いてしまうのでした。これでサザエの壷焼き屋台でもあればもう完璧よ。</description>
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  <dc:date>2007-12-18T14:28:00+09:00</dc:date> 
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  <title>２・０・０・７</title>
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  <description>あと少しで、2007年が終わる。今年も残すところあとわずか、という枕詞をあちらこちらで耳にする。そうなんだ、終わるんだ。でも、私にはなんとなく、もう終わるものは何もなくなって、残っているのは始まることだけという感覚がある。なんでかにゃ？

そういえば、近くの腕のいい歯科医院の院長先生が、「今年は四季じゃなくて三季しかなかったんですよ。」と仰っていたそうな。秋と冬に明確な境が無かったのだそうです。「だから、今年は体調を崩す人が多くて、風邪をひきやすくなっているんです。」とも。壊れた季節の始まりはもう確認されているのかもしれない。

世の中の流れとほとんど関係ない生活をしているので、時間の感覚が一部崩壊している。カレンダーに合わせて動いている時だけ、世の中時間が降臨して、その流れに乗るような感じ。エスカレーターとか、動く歩道とか、ああいう流れに。だから、いつ何があったということも、あまり憶えていない。想い出のために作った記憶を反芻して固定する習慣がないので、本当に心に響いたことだけがいつまでも臨場感とともに「永遠箱」に入っている。

今年は、魔猫が「永遠箱」に入って、私の人生から猫が永久欠番になった。もし違う時間の流れの中で、「私じゃないけど私」が別の生態系がある星に降りたら、魔猫が最初の猫になる。そんな感じ。

ようやく喪失の衝撃が薄らいで、幸せだけが常にゆらゆらと醸し出されているいつもの雰囲気が戻ってきた。生と死の壁を破る時にはもの凄いエネルギーがあちらとこちらで交換されているような気がする。それは決して一方的な喪失ではない。死の世界を超えた場所にある永続性に触れる聖なる瞬間だ。

きっと、古代文明で犠牲が捧げられた真の理由は、あの永続性に触れたいという根源的な希求なのではないだろうか、それを人は「神」と呼んで。でも知性にとって真に役に立つ永続性は、外にあるものではなくて、自分の奥深くにあるものを見つけ出して渾沌から掬い上げたものだけだろうと、私自身は思っている。

人工的な価値観は、この永続性を見えなくしてしまうことが多いような気がする。そのような永続性は現実の生活を手っ取り早く豊かにすることとはかけ離れているから。長期的に見ると、ローカルにもギャラクティックにも豊かな存在でいるためには、この永続性こそが必要なのだけれど。今は、その二つの世界のインターフェースが切れてというか喪失してしまっているから、仕方ないのだろうな、と思う。

自分自身も、この二つの世界が切れてしまっていることに、不必要に重圧を感じて生きてきた経緯もあり、二つを再結合することが、とんでもなく難作業だということはわかる。難作業どころか、無理だと思っていた。二つの世界を見ながら生きることは、不便だし、痛みを伴なうし、孤独でもある。すすんで選ぶかと問われたら、いや、仕方ないから、と答えるしかないような。たまたまその場所に居合わせてしまったから。

そんなこんなで、自分の心だか身体だか判らない場所に、常に意識下に痛みを及ぼす傷が大きく育ってしまっていた。組織が癒着してさらに石灰化して、動くたびにあるいは何かのトリガーになる言葉をきくたびに痛むような。私はこの身体のなかにいる限り、傷と付き合っていかなければならないのだろう、とある種の諦観と共に受け入れていた。いやなんだけど。

或る日、ふと気付いたら、その傷が消えていた。信じられなくて、敢えて自ら痛みを引き起こすきっかけにいろいろと触れてみた。でも、痛くない。というかどこに何があったのかわからない。傷がない状態を憶えていないほど長い間あったものなので、何かがスコンと抜け落ちて、なんとなく安定しない。

魔猫の闘病から死までの、時間の流れの中で、私も変わって行ったんだろう。考えることから逃げていた「魔猫がいない世界」が始まった。しかし、闘病中に起きたことの全てを含めて、あの失い方でなければ、この世界は始まらなかっただろう。

新しい世界を眺めている私は今、言葉の力を超えるなにものかを感じている。</description>
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  <dc:date>2007-12-17T13:58:00+09:00</dc:date> 
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